パリといえばエッフェル塔。
あの鉄の塔がなければ、パリの写真は成立しません。建てられた瞬間から愛されてきた、街の顔。私はそう思っていました。
20年で解体する約束で建てられています。しかも当時は、かなり嫌われていました。
20年で壊す約束で建てられた
エッフェル塔は、1889年のパリ万国博覧会のシンボルとして作られました。フランス革命から100年を記念した博覧会です。
このとき交わされた契約に、こう書かれていました。20年後の1909年に、塔をパリ市へ引き渡す。 事実上、そこで取り壊される予定だったわけですね。
そして建設中から、猛烈な反対が起きます。
1887年2月、画家や作曲家、建築家たちが新聞に抗議声明を出しました。そこでの呼び名が「無用にして醜悪なるエッフェル塔」。パリの街並みを侮辱している、というのが言い分でした。
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1887年1月 | 着工 |
| 1887年2月 | 芸術家たちが抗議声明を発表 |
| 1889年3月 | 完成。高さ312メートル |
| 1909年 | 契約上、パリ市に引き渡す期限 |
署名した人たちの顔ぶれも豪華で、作曲家のグノーや、パリのオペラ座を設計した建築家シャルル・ガルニエが名を連ねています。街の美を担ってきた側が、そろって反対したことになります。
残った理由は、美しさではなく電波
では、なぜ解体されなかったのか。
高いところが必要だったからです。
1904年、フランス軍の通信担当だったギュスターヴ・フェリエが、軍の無線通信にこの塔を使うことを提案します。当時、無線は急速に発展していました。300メートルを超えるアンテナは、他に代えがきかない設備です。
こうして塔は「国防上重要な建築物」という位置づけになり、解体を免れました。第一次世界大戦では、ドイツ軍の無線を傍受する役目も果たしたと言われています。
つまり芸術として救われたのではなく、道具として使えたから残った。
いま世界中の人がカメラを向けているのは、取り壊し寸前で電波塔に転職した鉄の骨組み、ということになりますね。
おまけ:モーパッサンが塔のレストランに通った理由
もうひとつ、有名な逸話があります。
抗議した文学者のひとりに、ギ・ド・モーパッサンがいました。ところが彼は、エッフェル塔の中のレストランによく通っていたそうです。
理由がふるっています。
「ここがパリで、いまいましいエッフェル塔を見なくてすむ唯一の場所だから」
塔の中にいれば、塔は見えません。理屈は完璧です。
広く知られた逸話で、どこまで本当かは分かりません。ただ、当時の空気をよく伝えている話だと思います。
明日、こう話せる
旅行の話や、パリの写真を見たときに使えます。
「エッフェル塔って、20年で壊す約束で建てたの知ってる?」
たいてい「そんなわけない」と返ってきます。
「万博用だったから。当時は芸術家たちに『無用にして醜悪』って新聞で叩かれてる。残ったのも、無線のアンテナに使えるって分かったからなんだよ」
そして最後にモーパッサンの話を足します。
「反対してた作家が塔のレストランに通ってて、理由が『ここだけは塔が見えないから』」
だいたい笑ってもらえます。名所の写真が、少し違って見えてきます。
