「こんにちは」も「さようなら」も文の途中。辞書に下略と書いてある

「こんにちは」も「さようなら」も文の途中。辞書に下略と書いてある

こんにちは、と毎日のように言います。

漢字で書けば「今日は」。……今日は、何なのでしょうか。主語だけ言って、そのあとが続いていませんよね。

続きがあります。言わずに済ませているだけでした。

目次

辞書に「下略」と書いてある

精選版日本国語大辞典で「今日は」を引くと、語義の前にこう添えてあります。

「今日は…」と続けた挨拶語の下略されたもの。

デジタル大辞泉のほうは、もう少し具体的でした。「今日はよいお天気です」などの後ろの部分が略されたもの、と。

面白いのは、辞書が挙げている初出の実例です。1785年の滑稽本『当世真々乃川』から引かれています。

「人に対する言葉をも、みなまでは言て居ず、今日はというて御苦労と聞かせ」

訳すと、人への言葉も最後まで言わないで、「今日は」と言って「ご苦労」と聞かせる、というところですね。

つまり240年前の人が、すでに「最後まで言ってない」と書き留めていた。当時から略語として意識されていたわけです。

「こんばんは」も、まったく同じ作りです。

「さようなら」は、もともと接続詞

もうひとつの挨拶も、同じ辞書で引いてみました。

こちらは驚きました。「さようなら」の最初の語義が、接続詞なのです。

「さようならば」が変化した語。意味は「それならば」「しからば」。初出は1742年ごろの歌舞伎『鳴神』です。

では、別れの挨拶として使われた例はいつからか。1788年の洒落本が挙げられていて、その用例がこうです。

「さやうなら、御きげんよふ」

お分かりでしょうか。別れを告げているのは、後ろの「ごきげんよう」のほうです。

辞書の語誌欄にも、はっきり書かれていました。別れの挨拶としては、まず「ごきげんよう」「のちほど」といった他の表現と結びついた形で使われ、そのあと近世後期に独立した言葉として一般化した、と。

「それなら」だけが残って、別れの言葉になった。

こんにちはは後ろを落とし、さようならも後ろを落とした。日本の挨拶は、そろって言いかけでやめています。

おまけ:辞書に載る、もうひとつの「こんにちは」

デジタル大辞泉の「こんにちは」には、2つ目の語義がありました。

俗に、中の物が少しはみ出していること。

用例まで載っています。「紙袋から本がこんにちはしている」。

挨拶が、はみ出すという意味の動詞になってしまいました。中身が顔を出して挨拶している、という見立てですね。言われてみれば、かわいい言い方です。

「さようなら」のほうも品詞を増やしています。名詞としての用法があって、初出は中勘助の『銀の匙』。「伯母さんにさやうならをして、帰るみちみち」という一節です。

接続詞から挨拶へ、挨拶から名詞へ。ずいぶん働き者の言葉でした。

明日、こう話せる

誰かに挨拶したあとが出番です。

「こんにちはって、途中で切れてるの知ってる?」

たいてい「途中?」と返ってきます。

「今日は、で止まってるでしょ。本当は『今日はいいお天気ですね』みたいに続いてたのが、前半だけ残ったんだって。辞書にもそう書いてある」

そして最後にこれを足します。

「さようならもそう。もとは『それならば』って意味の接続詞で、『さようなら、ごきげんよう』の前半だけが残った」

挨拶は1日に何度もします。使うたびに思い出せる話です。

参考

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この記事を書いた人

「どうせヒマなら」を運営している市田健人(いちだ けんと)です。東京でWeb制作とデザインの仕事をしながら、ベースケント合同会社(BASE KENT)の代表をしています。専門家ではありません。気になったことを調べて、裏が取れたものだけを書いています。定説が定まっていない話は「諸説あります」と正直に書く方針です。3分で読めて、誰かに話したくなる話を毎日ひとつ。暮らしとWeb制作の実用情報を扱う「Ex-TORANOMAKI」も運営しています。

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