「あこぎな商売だな」
言われてみると、不思議な言葉ですよね。アコギ。音だけでは意味の見当がつきません。
漢字で書くと「阿漕」。これ、いまも三重県にある海岸の名前です。
阿漕ヶ浦は、津市に実在する
デジタル大辞泉で「阿漕」を引くと、語源の説明がこうなっています。
禁漁地である阿漕ヶ浦で、ある漁師がたびたび密漁をして捕らえられたという伝説から。
場所は三重県津市。平凡社の日本歴史地名大系によると、津市の橋南地域一帯の海岸を指す呼び名で、戦前までは「アコギガウラ」と呼ばれていたそうです。いまは「アコギウラ」。
地名として生きているだけではありません。津駅からバスに乗ると、「阿漕浦」という停留所があります。そして津市柳山津興(やなぎやまつおき)には、阿漕塚という塚が残っています。
悪口の語源になった土地に、その名前の塚が立っている。なかなかの状況ですよね。
密漁の理由は、母の病気だった
では、その塚に祀られているのは誰なのか。
三重県観光連盟の解説に、こう書かれていました。母の病を治すため、禁漁の阿漕浦でヤガラを捕ったため罰せられた平治の霊を祀る。
母の病を治すため。
密漁は密漁ですが、動機は親孝行だったわけですね。いまの「あこぎ」からイメージする人物像とは、だいぶ違います。
この平治の話は、謡曲「阿漕」や浄瑠璃「あこぎの平治」の題材になって有名になりました。謡曲のほうは世阿弥の作とされる四番目物。旅の僧が、阿漕ヶ浦で密漁をして海に沈められた漁師の霊から、懺悔(ざんげ)の物語を聞く、という筋立てです。
つまり「あこぎ」という言葉を広めたのは、彼を主役にした芸能でした。舞台で繰り返し語られるうちに、人の名前でも土地の名前でもなく、行為を指す普通名詞になっていった。
名前が言葉になるというのは、こういう道筋をたどるんですね。
おまけ:最初の意味は「たび重なること」だった
デジタル大辞泉には、意味が2つ載っています。1番目は、おなじみの「しつこく、ずうずうしいこと」「無慈悲に金品をむさぼること」。
そして2番目が、「たび重なること」。
伝説で強調されているのは「たびたび密漁をした」という点でした。だから先に移ったのは、悪質さではなく回数のほうだったわけです。欲深さの意味は、そのあとから付いてきた。
ちなみに、肝心の地名「阿漕」の語源そのものは、よく分かっていません。
日本歴史地名大系は「字義についての確たる定説はない」とはっきり書いています。郡名の「安濃(あのう)」を読み誤ったという説、「あこ」は海人(あま)のことで「き」は木、塩木をたくさん積んだ浜だからという説。江戸時代にはすでに、どこからどこまでが阿漕浦なのかも曖昧になっていたそうです。
語源の語源は、藪の中でした。
明日、こう話せる
誰かが「あこぎだなあ」と言ったときが出番です。
「あこぎって、どういう意味の言葉だと思う?」
たいてい「悪いことでしょ」で止まります。音の由来まで考える人はあまりいません。
「三重県の地名なんだって。阿漕ヶ浦っていう海岸。伊勢湾の禁漁区で密漁した漁師の伝説から来てる」
そして最後にこれを足します。
「でもその漁師、母親の病気を治すために魚を獲ったんだよ。それが悪口の語源になってる」
悪い言葉の裏に、孝行息子がいる。少し複雑な気持ちになる話です。
