食パンの「食」は何か。元祖の店に聞いても資料が残っていない

食パンの「食」は何か。元祖の店に聞いても資料が残っていない

あんパンは、あんが入っているパン。

カレーパンはカレー、クリームパンはクリーム。中身がそのまま名前になっていますよね。では食パンは、何が入っているのか。

食、とは何なのか。実は、はっきりしていません。

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元祖の店に聞いても「資料がない」

日本の食パンの元祖とされる店が、横浜の元町にあります。

ウチキパン。公式サイトによれば、初代の打木彦太郎が明治21年(1888年)に「横浜ベーカリー宇千喜商店」として創業した店です。

さらにさかのぼると、イギリス人のロバート・クラークが開いた「ヨコハマベーカリー」に行き着きます。打木彦太郎は、そこで住み込みの見習いとして働いていました。クラークが引退して帰国したのを機に、独立したわけですね。

その店の工場長が、取材でこう答えています。

「確かな資料というのがないんです。」

理由も語られていました。関東大震災や空襲で、焼けてしまったのだそうです。

元祖の店が分からないのなら、もう誰にも分かりません。

有力なのは「主食用のパン」説

それでも、伝え聞いている話はあるといいます。

当時の日本には、イースト菌がありませんでした。パン屋はそれぞれ、自分で酵母を作っていたのです。

麹菌を使うと、あまり発酵しません。大きく膨らまないパンができる。それが当時の菓子パンでした。

一方、宇千喜商店が使っていたのはビールのホップ種。こちらは大きく膨らみます。

このパンは菓子ではなく主食だ、ということで「主食用のパン」と呼ばれ、縮まって食パンになった。工場長が伝え聞いているのは、この説でした。

ちなみに当時、酵母こそが企業秘密だったそうです。打木彦太郎は10年ほど修行して信頼を勝ち取り、秘伝を受け継いだと語られていました。パンの作り方に、職人の一生がかかっていたわけですね。

この店では今も、ホップ種を使ったパンを「イングランド」という名前で売っています。

おまけ:「フライパンと区別するため」説もある

ほかの説も聞いてみると、だんだん雲行きが怪しくなります。

ひとつは消しパン説。昔、美術のデッサンでは、パンが消しゴムの役目を担っていました。それと区別して、食べられるほうを食パンと呼んだ、と。

もうひとつが強烈でした。フライパンのような「食べられないパン」と区別するため。

取材した記者も、さすがに突っ込んでいます。それだと食べられるパン全部が食パンになりませんか、と。工場長の答えは「まあそうなりますね」。笑いながら認めていました。

主食用、消しゴム、フライパン。候補が並んでいるのに、どれも決め手がない。

毎朝のように食べているものの名前が、いまだに宙ぶらりんのままです。

明日、こう話せる

朝食のテーブルか、パン屋の棚の前が出番です。

「食パンの『食』って、何の食か知ってる?」

たいてい「食べるパンでしょ」と返ってきます。それはそうなんですが。

「それが諸説あって決まってないんだって。元祖の店に取材した人がいるんだけど、資料が震災と空襲で焼けちゃって分からないって」

そして最後にこれを足します。

「候補のひとつが『フライパンと区別するため』。食べられないパンと分けたかったらしいよ」

正解が出ないまま毎朝食べている。そこがかえって面白い話です。

参考

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この記事を書いた人

「どうせヒマなら」を運営している市田健人(いちだ けんと)です。東京でWeb制作とデザインの仕事をしながら、ベースケント合同会社(BASE KENT)の代表をしています。専門家ではありません。気になったことを調べて、裏が取れたものだけを書いています。定説が定まっていない話は「諸説あります」と正直に書く方針です。3分で読めて、誰かに話したくなる話を毎日ひとつ。暮らしとWeb制作の実用情報を扱う「Ex-TORANOMAKI」も運営しています。

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