みりんはもともと調味料ではなく、夏に冷やして飲む酒だった

みりんはもともと調味料ではなく、夏に冷やして飲む酒だった

台所の棚にある、みりん。

煮物に照りを出したり、味を丸くしたり。料理に使うものという以外の顔を、私は考えたことがありませんでした。

もとは飲み物です。しかも夏の贅沢品でした。

目次

戦国や江戸のころは「甘いお酒」

みりんメーカーの資料によれば、戦国時代から江戸時代にかけて、みりんは甘い酒として飲まれていました。

江戸時代の中ごろになると、その立ち位置がはっきりしてきます。酒が苦手な人や女性でも楽しめる、甘いお酒として受け入れられていったのです。

いまでいえば、リキュールのような扱いでしょうか。強い酒が飲めない人のための、やさしい選択肢だったわけですね。

そもそも本みりんは、もち米と米こうじを焼酎に仕込んで造ります。砂糖を入れているわけではありません。米のデンプンがゆっくり糖に変わって、あの甘さになる。

つまり甘い酒として造られたものが、たまたま料理にも合った。順番はそういうことになります。

夏に冷やして飲む「柳蔭」

飲み方にも名前が付いていました。

みりんと焼酎を、ほぼ半々に混ぜる。それだけです。これを井戸で冷やして、夏の暑気払いに飲んでいました。

呼び名は土地によって違いました。

地域呼び名
上方(関西)柳蔭(やなぎかげ)
江戸本直し(ほんなおし)

江戸時代の風俗を記録した『守貞漫稿』に、この使い分けが残っています。

そして、これがなかなかの高級品でした。落語の「青菜」では、旦那が客に振る舞う上等な酒として登場します。暑い日に、冷えた甘い酒を出してもらえる。当時としては、相当なもてなしだったのでしょう。

ちなみに現在売られているみりんは調味料として作られているものです。念のため、飲むためのものではありません。

おまけ:調味料になったのは、鰻とそばのおかげ

では、いつ台所へ移ったのか。

転機は1760年前後だと言われています。

このころ、江戸では鰻屋や蕎麦屋が大いに繁盛しました。店が増えれば、たれやつゆの味を競うようになります。そこで使われたのが、みりんでした。

江戸時代後期の資料には、関東で鰻のたれやそばつゆにみりんが使われていたことがはっきり書かれています。

甘みと照りが同時に付いて、生臭さも抑えられる。たれを作るには、これ以上ない材料でした。

飲み物として愛されていたものが、外食の流行に引っ張られて調味料の棚へ移った。配置転換された酒、という言い方もできますね。

いま鰻のたれが甘いのは、その名残です。江戸の人が夏に冷やして飲んでいたものが、いまは白いご飯にかかっている。

明日、こう話せる

食卓で煮物が出たときや、うなぎを食べているときが出番です。

「みりんって、もともと飲み物だったの知ってる?」

たいてい「料理酒でしょ」と返ってきます。

「江戸のころは甘いお酒として飲まれてたんだよ。焼酎と半々に混ぜて、井戸で冷やして夏に飲む。上方では柳蔭、江戸では本直しって呼ばれてた」

そして最後にこれを足します。

「調味料になったのは、鰻屋とそば屋が流行ったから。たれやつゆに使われて、そっちが本業になった」

うなぎのたれの甘さに、少し歴史の味が混ざります。

参考

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この記事を書いた人

「どうせヒマなら」を運営している市田健人(いちだ けんと)です。東京でWeb制作とデザインの仕事をしながら、ベースケント合同会社(BASE KENT)の代表をしています。専門家ではありません。気になったことを調べて、裏が取れたものだけを書いています。定説が定まっていない話は「諸説あります」と正直に書く方針です。3分で読めて、誰かに話したくなる話を毎日ひとつ。暮らしとWeb制作の実用情報を扱う「Ex-TORANOMAKI」も運営しています。

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