青空を見上げたときや、白い壁をぼんやり眺めているとき。
視界に透明な糸くずのようなものが、ふわりと漂うことがあります。目で追いかけると、すっと逃げる。捕まえようとするほど、するりと視界の外へ滑っていく。
あれ、外にあるものではありません。自分の眼球の中にあります。
見ているのは、物ではなく影
眼球の内側は、硝子体(しょうしたい)というゼリー状の組織で満たされています。ほとんどが水分で、わずかに細い線維を含んだ、透明な中身です。
ここに濁りができることがあります。
すると、目に入ってきた光がその濁りにさえぎられ、奥の網膜に影を落とす。私たちが見ているのは、その影です。
見え方には個人差があって、こう表現されます。
- 糸くず
- 小さな水玉
- たばこの煙
- 輪のようなもの
眼科では、これを飛蚊症(ひぶんしょう)と呼びます。蚊が飛んでいるように見える、という意味の名前ですね。ずいぶん詩的な命名だと思います。
追いかけても、絶対に捕まらない
ここが一番おもしろいところです。
濁りは眼球の中にあります。つまり視線を動かせば、濁りも一緒に動く。
見ようとして目を向けると、影もその方向へ移動する。だから永遠に視界の中心に来ません。網ですくおうとして、網ごと逃げていくようなものです。
しかも、動きにわずかな遅れがあります。硝子体はゼリー状なので、眼球が止まったあともしばらく揺れている。目を止めたのに糸くずだけがふわっと流れていくのは、これが理由です。
追いかけると逃げ、止まると追いついてくる。 言われてから観察すると、確かにそう動いています。
おまけ:生まれる前の血管の名残かもしれない
もう一段、不思議な話があります。
お腹の中にいるあいだ、硝子体の中には血管が通っています。目を作るために必要な血管です。
この血管はふつう、生まれるまでに消えてしまう。ところが、その一部や周りの組織が、濁りとして残ることがあるそうです。
つまり人によっては、いま視界に浮かんでいるあの点が、生まれる前に使っていた血管の跡ということになります。自分の体の古い設計図が、ときどき視界に顔を出しているわけです。
なお、飛蚊症を自覚したら一度眼科で検査を、というのが日本眼科医会の案内です。急に数が増えた場合などは別の話になるので、ここから先は専門家の領域として、この記事では立ち入りません。
明日、こう話せる
空の話や、天気の話をしているときが自然です。
「青空を見上げると、糸くずみたいなの漂ってない?」
たいてい「ある」と返ってきます。全員ではありませんが、けっこうな確率で通じます。
「あれ空にあるんじゃなくて、目玉の中の濁りの影なんだって。だから追いかけても逃げる」
ここで相手はたぶん、実際に空を見上げて目を動かしはじめます。
「しかも人によっては、生まれる前に目の中を通ってた血管の名残らしいよ」
自分の中にあるものなのに、一生捕まえられない。なかなか変な話です。
