宇宙は真空です。
空気がないのだから、匂いもない。匂いとは、分子が鼻に届いて初めて成立するものですよね。
ところが宇宙飛行士は、口を揃えて同じ匂いを報告しています。
嗅げるのは、船に戻ってからだった
仕組みはこうでした。
船外活動の最中は、何も匂いません。宇宙服の中は、ただのプラスチックの匂いです。
匂うのは、船に戻ってヘルメットを外した瞬間。宇宙服にくっついて入ってきた分子が、一気に鼻に届きます。
匂いが残るのは宇宙服だけではなく、ヘルメットや手袋、持ち出した工具にも付くそうです。
では、どんな匂いなのか。NASAがまとめた証言を見ると、方向はおおむね揃っています。
- 「とても強い金属的な匂い」(グレッグ・シャミトフ飛行士)
- 火薬、あるいはオゾンのよう
- 「甘い溶接の煙」(ドン・ペティット飛行士)
ペティット飛行士の説明が具体的でした。大学時代の夏にアーク溶接のトーチで重機を修理していた、そのときの煙の匂いを思い出す、と。心地よい、甘い金属の感覚だと書いています。
変わり種もありました。欧州宇宙機関のアレクサンダー・ゲルスト飛行士いわく、クルミと、自分のバイクのブレーキパッドを混ぜたような匂い。
正体は、まだ分かっていない
ではその匂いは何なのか。
NASAのページは、正直にこう書いています。短い答えは、分からない。
宇宙服に付いてくるものについては、原子状酸素が候補に挙がっています。酸素原子がばらばらのまま漂っている状態のものですね。NASAに依頼されて匂いを再現した化学者は、金属っぽさはイオンの激しい振動から来るのかもしれない、とも話しています。
もう少し視野を広げると、別の分子の名前が出てきます。多環芳香族炭化水素(PAH)。宇宙のいたるところにある、とても頑丈な物質です。
面白いのは、これが地球にもありふれていること。すす、車の排気ガス、焦げたトースト、焦げた肉。身の回りの「焦げ」の正体です。
NASAの研究者によれば、星は寿命の終わりに炭素をまき散らし、その一部がすすになる。その反応は化石燃料が燃えるのとよく似ているそうです。バーベキューの焦げと同じ分子が、星の周りでも作られている。
ただし、これは「もし星と星のあいだの空間を何百立方マイルも吸い込めたら」という仮定の話。宇宙服に付いてきた匂いと同じ原因かどうかは、分かっていません。
おまけ:NASAは、宇宙の匂いを作らせた
訓練で使うため、NASAは香料メーカーにこの匂いの再現を依頼しています。
担当した調香師によると、月の匂いも作ったそうです。宇宙飛行士たちはそれを「使用済みの火薬」に例えたとのこと。
ついでに、宇宙ステーションの中の匂いも記録されていました。ペティット飛行士いわく、機械工場とエンジンルームと実験室を足して割ったような匂い。そして袋入りのシチューを開けて夕食を作ると、少しローストビーフの匂いがする。
壮大な話の最後が晩ごはんの匂いで終わるところが、気に入りました。
明日、こう話せる
何かを焦がしたときが出番です。
「宇宙って、匂いがあるの知ってる?」
たいてい「真空なのに?」と返ってきます。まったくそのとおりです。
「船外活動から帰ってヘルメットを脱ぐと匂うんだって。宇宙服に付いてくるらしい。金属っぽい、溶接の煙みたいな匂い」
そして最後にこれを足します。
「原因はまだ分かってないけど、有力候補は焦げたトーストと同じ分子。星が作ったすすなんだよ」
トーストを焦がすたびに思い出せます。台所と宇宙が、思わぬところでつながる話です。
