「土壇場で逆転」「土壇場に強い」。
スポーツの中継でよく聞く言い方ですね。ぎりぎりの場面、という意味だと分かります。ただ、その「壇」がどこの壇なのかは、考えたこともありませんでした。
刑場に築いた、土の壇です。
もとは、ただの土盛りだった
辞書を引くと、そのままの意味が出てきます。
デジタル大辞泉の「土壇場」はこうです。近世、首切りの刑を行うために築いた土の壇。前に穴を掘る。
江戸より前は、ここまで重い言葉ではありませんでした。文字どおり「土を盛って築いた壇」を指すだけの、ただの名詞だったんです。
それが江戸時代に入り、斬罪の刑を執行する場所を指すようになります。罪人をこの壇に横たえたからですね。
ちなみに「土壇(どだん)」のほうは、今も別の場所で生きています。茶道で、炉の内側に土を厚く塗った壁のこと。同じ単語が、茶室にも残っているわけです。
「ぎりぎり」になるまでの道筋
では、なぜ逆転劇の決まり文句になったのか。
意味はこう動いていきました。
- 土を盛って築いた壇(江戸以前)
- 斬首刑を行う場所(江戸時代)
- もう逃げ場のない、進退きわまった状態
- 決断を迫られる、最後の場面
場所の名前が、そこで起きることの名前に変わっていく。甲子園が球場ではなく大会そのものを指すようになったのと、たどった道は同じですね。
面白いのはここからです。
いちばん後ろがない場所の名前が、いまでは「ここから巻き返せる」という期待を乗せて使われている。「土壇場で同点」と聞けば、こちらは明るい気持ちになります。もとの場所を知ってから中継を見たら、あの言い方の勢いが少し違って聞こえました。
出どころが忘れられた度合いは、辞書の類語欄を見るとよく分かります。土壇場の類語として並んでいるのは「大詰め」「瀬戸際」「土俵際」「ラスト」「フィナーレ」。刑場の気配は、もうどこにも残っていません。
おまけ:「ドタキャン」の「ドタ」も、この壇
もうひとつ、思わぬところに同じ語が残っています。
ドタキャンの「ドタ」です。
土壇場の「どた」と、キャンセルの「キャン」をくっつけた言葉。もともとは芸能界や放送業界、旅行業界で使われていた業界用語でした。一般に広まったのは1990年前後から。1992年ごろという記録もあります。
つまり「約束の直前に断ること」を、江戸時代の刑場の名前で呼んでいるわけです。
使い方にも偏りがあります。この言葉は、する側よりもされた側が使うことが多い。「ドタキャンしちゃった」より「ドタキャンされた」のほうが、口に出る回数が多いわけですね。言われてみれば、たしかにそうでした。
軽い響きのカタカナ語だと思っていたので、これはかなり意外でした。言葉は短く崩れるほど、出どころが見えなくなるものですね。
明日、こう話せる
スポーツ中継を見ているときか、誰かがドタキャンされた話をしているときが出番です。
「土壇場の『壇』って、何の壇だと思う?」
たいてい「相撲の土俵じゃないの」あたりが返ってきます。
「江戸時代の刑場なんだよ。首を切るときに罪人を乗せる、土を盛った壇。辞書にそう書いてある」
そして最後にこれを足します。
「しかもドタキャンの『ドタ』、あれも土壇場の『どた』。土壇場キャンセルの略なんだって」
カタカナの軽い言葉が、いちばん重い場所につながっている。その落差で話が広がります。
