ウスターソースは失敗作から生まれた。その美談には裏付けがない

ウスターソースは失敗作から生まれた。その美談には裏付けがない

ウスターソースには、有名な誕生秘話があります。

作ってみたらまずくて、樽ごと倉庫に放り込んだ。何年か経って捨てる前に味見したら、驚くほどおいしくなっていた。

失敗が名品に化けた話です。私もこの話が好きでした。

ただ、この話には歴史的な裏付けがありません。

目次

語られてきた誕生秘話

舞台はイギリスのウスター。薬剤師のジョン・ホイーリー・リーとウィリアム・ヘンリー・ペリンズの2人です。

伝えられている物語は、こんな流れです。

順番できごと
1インド帰りの貴族が、現地のソースのレシピを持ち込む
22人が作ってみるが、強烈すぎて食べられない
3樽を倉庫の奥に放置する
4数年後、片付けのついでに味見すると、熟成してまろやかに
5レシピを買い取り、1830年代の終わりごろに売り出す

ここから生まれたのが「リーペリン」のウスターソースです。レシピは今も公開されていません。

放っておいたら勝手においしくなった。話としては、これ以上ないほどよくできています。

依頼主の経歴が、合わない

問題は、物語の出発点です。

レシピを持ち込んだのは、ベンガル総督を務めたサンズ卿だとされています。インドでこのソースに出会い、故郷に持ち帰ったというわけです。

ところが記録を調べると、歴代のサンズ男爵がベンガル総督を務めた事実はありません。それどころか、インドを訪れた記録すら見当たらない。

インドから持ち帰ったはずの人が、インドに行っていないことになります。

そのため、この誕生秘話は史実というより伝説として扱われています。実際に何があったのか、細部はいくつもの説があって、はっきりしません。

売り出されてから長い年月が経つうちに、話のほうが少しずつ磨かれていったのかもしれませんね。いい話ほど、出どころが怪しくなる。雑学を集めていると、よく出会うパターンです。

おまけ:日本のウスターソースは、すぐには根付かなかった

日本でも、早い時期からウスターソース作りは試みられていました。

たとえば1885年、醤油メーカーのヤマサが「ミカドソース」を発売しています。ところが当時の日本人の口には合わず、1年ほどで製造は中止になりました。

本格的に広まり始めたのは、1894年に大阪で「三ツ矢ソース」が売り出されたあたりからです。

そして日本のソースは、お手本とは別の道を進みます。本家が使うアンチョビは使わず、野菜や果物、砂糖をたっぷり。甘みのある日本独自の味になり、とんかつソースやお好みソースもその先に生まれました。

イギリスの伝説から始まって、日本では別の食べものになった。名前は同じでも、中身はずいぶん遠くまで来ています。

明日、こう話せる

揚げ物にソースをかけるとき、そのまま使えます。

「ウスターソースって、失敗作を放置したらおいしくなって生まれたって話、知ってる?」

たいてい「聞いたことある」と返ってきます。有名な話なので。

「でもあれ、裏付けがないんだって。レシピを持ち込んだはずの貴族が、インドに行った記録すらないらしい」

そして最後にこれを足します。

「あと明治に日本で売り出されたウスターソース、口に合わなくて1年で終わったものもあるらしい」

いい話を崩して、別の意外な話で埋める。雑学の順番としては、なかなか気持ちがいい流れです。

参考

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この記事を書いた人

「どうせヒマなら」を運営している市田健人(いちだ けんと)です。東京でWeb制作とデザインの仕事をしながら、ベースケント合同会社(BASE KENT)の代表をしています。専門家ではありません。気になったことを調べて、裏が取れたものだけを書いています。定説が定まっていない話は「諸説あります」と正直に書く方針です。3分で読めて、誰かに話したくなる話を毎日ひとつ。暮らしとWeb制作の実用情報を扱う「Ex-TORANOMAKI」も運営しています。

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