鏡の前に立って、自分の左目を見てください。次に、右目。
もう一度、左目。そして右目。
……見えましたか。自分の目が動いている、その瞬間。
たぶん、見えていないと思います。左目にいたはずの視線が、気づくと右目にいる。移動している最中だけが、きれいに抜け落ちています。
私はこれを知った日、洗面所の鏡の前で3分ほど粘りました。速く動かしてもだめ。じっくり動かしてもだめ。何度やっても、その瞬間だけ捕まえられません。
脳が、その瞬間の映像を捨てている
人の目は、何かを見るときに一点から一点へジャンプします。サッカードと呼ばれる動きで、想像よりずっと高速です。
もしその間の映像をまともに受け取っていたら、視界は走る車の窓みたいに流れます。文字も読めないし、相手の顔も追えません。
そこで脳は、なかなか思い切った手を打っています。
動いている間の映像を、捨てているんです。
ジャンプする前の景色と、着地したあとの景色。この2枚をつなぎ合わせて、「ずっと見ていましたよ」という顔をする。パラパラ漫画から数ページ抜き取って、何食わぬ顔で綴じ直すようなものです。
この働きを、サッカード抑制と呼びます。
他人の目なら、ちゃんと見える
面白いのはここからです。
向かいに座っている人の目が左右に動くところは、はっきり見えます。速すぎて見えない、という話ではないんですね。
見えないのは、自分の眼球が動いているときだけ。つまり問題は目の速さではなく、脳の編集方針にあります。
そして自分の目を観察できる場所は、鏡の前くらいしかありません。だからこの現象は、知らないまま一生を終えても不思議ではない。言われて初めて「たしかに」となる類いの話です。
時計の秒針が止まって見えるのも、これが原因
もうひとつ、心当たりがあるかもしれません。
ふと壁の時計に目をやったとき、秒針が一瞬止まって見える。あれです。
これもサッカード抑制の副作用だと考えられています。脳は捨ててしまった時間を埋めるために、着地したあとの映像を少し巻き戻して引き伸ばす。その結果、最初の1秒だけが妙に長く感じられます。
クロノスタシス、日本語では「止まった時計の錯覚」と呼ばれます。急いでいるときに限って秒針が動かない気がするあの感覚には、ちゃんと名前がついていました。
おまけ:見ていない時間は意外と長い
サッカードは、1日に何万回も起きています。1回あたりはごく短い時間です。
ただ、積み上げるとそれなりの長さになります。私たちは起きている時間の一部を、文字どおり「見ていない」状態で過ごしている計算です。
それでも世界が途切れないのは、脳が編集でつないでくれているからです。映像としてはコマ落ちだらけなのに、体感はなめらか。よくできています。
明日、こう話せる
これは説明するより、やってもらったほうが早い話です。
「ちょっと鏡見て。自分の右目と左目を、交互に見てみて」
相手が何度か試して「あれ、見えない」と言ったところで、種を明かします。
「目が動いてる間の映像、脳が捨ててるんだって。そのまま見えたらブレて何もわからないから」
さらに「時計の秒針が一瞬止まって見えるのも同じ理由らしいよ」と足すと、相手はたぶん壁の時計を探しはじめます。実演できる雑学は、まず外しません。
参考
- サッカード(衝動性眼球運動)とサッカード抑制に関する視覚科学の解説
- クロノスタシス(止まった時計の錯覚)に関する研究の紹介記事
