緑地に、白い人が走っている。あの非常口のマークです。
海外の空港でもホテルでも見かけます。あまりに当たり前に存在しているので、どこか外国の機関が決めたものだと思っていました。
違いました。日本で生まれたデザインです。
きっかけは、百貨店の火災
1973年、熊本市の大洋デパートで火災が起きました。多数の死傷者を出す、大きな事故です。
当時の非常口の表示は、漢字で「非常口」と書かれた小さなものでした。
煙が充満した暗い店内で、文字は読めません。しかも日本語が読めない人には、そもそも意味が伝わらない。逃げ道がわからないまま、被害が広がりました。
文字に頼らない、ひと目でわかる表示が必要だ。
この痛切な反省から、絵で示すマークの検討が始まります。
3,373点の中から選ばれた
1970年代後半、非常口の標識を全国から公募するコンテストが開かれました。
集まった作品は3,373点。その中から小谷松敏文氏の案が選ばれ、専門委員会の手で改良が重ねられます。デザイナーの太田幸夫氏が中心となって仕上げたものが、1982年に日本の規格として制定されました。
そして1987年、日本案が国際規格として採用されます。
熊本の火災から14年。日本発のデザインが、世界中の建物に貼られることになりました。
おまけ:国際規格になるまでは一悶着あった
すんなり決まったわけではありません。
日本が国際標準化機構に提案した時点で、すでに別の国の案が有力になっていたと伝えられています。その案が後に取り下げられ、入れ替わる形で日本案が採用された、という経緯です。
もし順番が違っていたら、私たちは今ごろ別のマークを見ていたことになります。
ちなみに走る人の向きにも意味があります。矢印と組み合わせて、逃げるべき方向を示すためです。緑という色も、国際的に「安全」を表す色として決められています。
避難の場面では、言語も文化も関係ありません。走る人の絵という、誰にでも伝わる形が最後に残りました。
明日、こう話せる
飲食店やホテルで非常口が目に入ったときが出番です。
「あのマーク、日本人がデザインしたんだよ」
たいてい驚かれます。そこに背景を足します。
「熊本のデパート火災がきっかけで作られて、そのまま世界の規格になった。昔は漢字で非常口って書いてあって、煙で読めなかったんだって」
なぜ文字ではなく絵なのか。そこまで一続きで話せると、聞いた人の見え方が変わります。
