もとの「かまぼこ」は、今のちくわの形だった。板に名前を奪われた

もとの「かまぼこ」は、今のちくわの形だった。板に名前を奪われた

おでんに入っているちくわと、板にのったかまぼこ。

どちらも魚のすり身でできていますが、別々の食べものだと思っていました。名前も形も違いますし、売り場も分かれています。

もとは同じものです。しかも、元祖の「かまぼこ」は今のちくわの形でした。

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最初のかまぼこは、竹に巻いてあった

古い時代のかまぼこは、細い竹を芯にして、すり身を塗りつけて焼いたものでした。

想像してみてください。竹に巻きつけて焼き、あとで竹を抜く。断面に穴が残る。

そう、ちくわです。

名前の由来も、この形から来ています。仕上がった姿が、水辺に生えるガマという植物の穂にそっくりだった。あの茶色くて細長い、フランクフルトのような形の穂です。

そこから「蒲の穂」と呼ばれ、やがて「蒲鉾(かまぼこ)」になりました。

つまり「かまぼこ」という名前は、もともとちくわの形を指していたわけですね。

板が来て、名前を取られた

転機は、板付きのかまぼこが現れたことでした。時期は室町の中ごろとも、桃山のころとも言われています。

新しく登場したこちらも、当然「かまぼこ」と呼ばれます。すると、2種類の別物が同じ名前で並ぶことになる。

そこで、区別が必要になりました。

時期竹に巻いたもの板にのせたもの
はじめかまぼこまだ存在しない
板付き登場後竹輪(ちくわ)かまぼこ

1848年に刊行された『近世事物考』には、こう書かれています。

「後に板に付けたるができてより、まぎらわしきにより元のかまぼこは竹輪と名付けたり」

後から来たほうが名前を引き継ぎ、先にいたほうが改名させられた。切り口が竹の輪に見えるから「竹輪」です。

元祖が、名前だけ明け渡して出ていった。なかなか気の毒な話だと思います。

おまけ:最古の記録は1115年

かまぼこが文献に登場するのは、平安時代までさかのぼります。

『類聚雑要抄』という記録に、永久3年(1115年)7月21日、藤原忠実の引越祝いの献立として「蒲鉾」が載っています。

そしてこの年号が、現代にも残りました。11月15日は「かまぼこの日」。1115年を11と15に分けて、1983年に業界団体が制定したものです。

ただし忘れてはいけません。その1115年の宴席に出ていたかまぼこは、板ではなく竹に巻かれた、ちくわの形でした。

記念日のポスターに板かまぼこが描かれていたら、少しだけ惜しい、ということになります。

明日、こう話せる

おでんを食べているときや、練り物が食卓に出たときが出番です。

「ちくわとかまぼこって、もとは同じものだったの知ってる?」

たいてい「似てるとは思ってた」くらいの反応です。

「もっと言うと、元祖のかまぼこが今のちくわの形なんだよ。竹に巻いて焼いてて、ガマの穂に似てるから蒲鉾」

そして最後にこれを足します。

「あとから板付きが出てきて、そっちがかまぼこの名前を取っちゃった。だから元祖のほうが竹輪に改名させられてる」

おでんの鍋を見ながら話せるので、説明がいりません。

参考

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この記事を書いた人

「どうせヒマなら」を運営している市田健人(いちだ けんと)です。東京でWeb制作とデザインの仕事をしながら、ベースケント合同会社(BASE KENT)の代表をしています。専門家ではありません。気になったことを調べて、裏が取れたものだけを書いています。定説が定まっていない話は「諸説あります」と正直に書く方針です。3分で読めて、誰かに話したくなる話を毎日ひとつ。暮らしとWeb制作の実用情報を扱う「Ex-TORANOMAKI」も運営しています。

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